伊丹市には人口が「ゼロ」のまち(小字・丁目単位で)が14もあるんです。「人口ゼロ」、つまり人が住んでいないのはナゼなのか?そこには一体ナニがあるのか?調査していくこの企画。
第1回の「鴻池7丁目編」では皆さんからの反応が高く、SNSではコメントなどもちょうだいしました。ありがとうございます!
前回から少し期間が空いてしまいましたが、第2回は「奥畑4丁目」を調査します!
「人口ゼロ」のまちとは?
伊丹市が年4回発表している「町・字別年齢別人口統計」で、人口総計が「0」になっている小字・丁目のこと。伊丹市内には人口が「0」の小字・丁目が14ヶ所あります(2020年3月31日現在)。
奥畑ってどのあたり?
伊丹市奥畑はこのあたりです。
県道尼崎宝塚線(尼宝線)の天神川南詰から池尻北交差点にかけての東側のエリア。松ヶ丘・昆陽北・寺本・池尻・中野北あたりに囲まれています。尼宝線をはさんだ西側にはイオンモール伊丹昆陽があり、ショッピングにも便利なところですね。
奥畑には1丁目から5丁目まであり、人口は1,280人です。
地図を見る限りでも北側はちょっと怪しそうな気もしますが…?
奥畑4丁目はどこにある?
では奥畑4丁目をGoogleマップの航空写真でクローズアップ!
確かにほとんどの敷地を工場が占めているようですね。
左下に大きな駐車場と家らしい建物がいくつか建っていますが…?
改めて地図で見てみると「ABCハウジング 伊丹昆陽の里住宅公園」でした。
そして奥畑4丁目のかなりの面積を占めているのが金井重要工業の工場の模様。
昔の奥畑4丁目にはナニがあった?
それでは国土交通省国土地理院ウェブサイトの地図・空中写真閲覧サービスを使って昭和50(1975)年の空中写真を見てみましょう。
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
赤く囲った部分が現在の奥畑4丁目部分です。
まだ尼宝線をはさんで西側のイオンモール伊丹昆陽はもちろんありません。以前ここには三菱電線工業伊丹製作所がありました。そして東隣の県立伊丹西高校もまだありませんね。ちなみに西高が開校したのは1979(昭和54)年です。
そして奥畑4丁目はというと…
東半分の金井重要工業はそのままです。でも西半分のABCハウジング伊丹昆陽の里住宅公園や兵庫トヨタ伊丹昆陽店などはまだなく、空き地のように見えますね。
でもよく見ると、ABCハウジング部分はどうやらグラウンドになっているように見えますね。
60年前の奥畑4丁目は?
ではさらに時を戻して約60年前、1961(昭和36年)の奥畑4丁目の航空写真を見てみましょう。
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
東側の現在の松ケ丘あたりには住宅が見えますが、まわりはほぼ田畑です。北側のクボタ伊丹オフィスもまだありませんね。
まわりに何もないだけに、ドーンと構える金井重要工業がかなりの存在感を表しています。
ではいつから金井重要工業はこの地にあったのでしょうか?Web版尼崎地域史事典『apedia』によると、
1932年に日本で最初に針布の国産化に成功したのを受けて1938年には稲野村池尻(現伊丹市)に金井針布製造所(9万9,000m2)を建設、同じころ、伊丹にあった春日機械工作所を吸収して金井精密機械工作所も発足していた。
Web版尼崎地域史事典『apedia』より引用
とありましたので、1938(昭和13)年からこの場所に工場があったようです。
ちなみに宝塚市金井町にも工場がありますが、ここはもともと宝塚市安倉の一部。1972(昭和47)年に企業名をつけた金井町に町名が変わったそうですよ。
奥畑4丁目は金井重要工業のまちだった!
ということで、奥畑4丁目に金井重要工業があるというよりは、金井重要工業の敷地がまるまる奥畑4丁目になった、ということのようですね!
伊丹市内の「人口ゼロのまち」には、まだまだいろいろな理由がありそうですね。
次回はどこを調査するか、どうぞお楽しみに~!
[文:たっきー@ECHO]