文化庁が6月19日に、伊丹市を中心に阪神間の5市で申請した「『伊丹諸白(もろはく)』と『灘の生一本(きいっぽん)』 下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」を日本遺産に認定したと発表しました!
「清酒発祥のまち伊丹」というキャッチフレーズは市民にはおなじみですが、日本酒をテーマとした日本遺産としては唯一とのことで、伊丹が全国・海外にも清酒発祥の地として知られるのはうれしいですね!
でも、そもそも「日本遺産」って何なのか知っていますか?世界遺産との違いは?すでに報道で一報を目にした方もいるかと思いますが、ITAMI ECHOでも詳しくお伝えします。
目次
そもそも「日本遺産」とは?
まず、「世界遺産」と「日本遺産」の違いから見ていきます。
左が世界遺産、右が日本遺産のロゴマーク(ユネスコ世界遺産センターウェブサイト、日本遺産ポータルサイトより引用)
「世界遺産」は、ユネスコ(UNESCO)で採択された世界遺産条約に基づき、世界遺産委員会が各国から推薦された遺跡や自然保護区等を調査・認定し、「世界遺産リスト」に登録する制度です。1978年に登録が始まってからすでに40年以上の歴史があり、世界では1,121件、国内では23件が登録(2019年の世界遺産委員会終了時点)。兵庫県内では1993年に姫路城が登録されています。
他方、「日本遺産」は、文化庁が2015年に始めた日本独自の認定制度です。世界遺産が遺跡など有形遺産の保護を目的としているのに対し、日本遺産は地域の歴史や風土を踏まえた「ストーリー(物語)」を認定するのが大きな違いです。
建築物や遺跡・名勝地、祭りなど有形無形の地域資源を「構成文化財」としてパッケージ化し、「保護」ではなく「活用」を重視して、一体的な整備や国内外への発信を国が支援します。
もう一つ、日本遺産には、単一の市町村で完結する「地域型」と、複数の市町村にまたがる「シリアル型」の2種類あることも特徴です。今回、伊丹が認定されたのは「シリアル型」で、伊丹市が代表自治体となり、賛同した尼崎市、西宮市、芦屋市、神戸市との計5市で1つの「ストーリー」を申請しました。
今回が認定のラストチャンスだった!?
実は、伊丹を含む5市が日本遺産に申請したのは、今回で2回目です。昨年は、「日本酒を巡る流通面を含めたダイナミックさが足りない」と評され落選。そこで今回、伊丹や灘の酒が樽廻船(たるかいせん)で大消費地の江戸に運ばれ、上方からの「下り酒」として人気を博したことを軸にストーリを再構成し、みごと認定を勝ち取りました!
日本遺産はもともと全国で100件程度の認定を目安としており、今回で累計104件となったため(2020年は申請69件、うち認定21件)、募集は当面中止となります。伊丹・灘五郷はラストチャンスでみごと認定を勝ち取ったわけですね。良かった!
認定されたストーリーや構成文化財は?
それでは、今回認定された「『伊丹諸白』と『灘の生一本』 下り酒が生んだ銘醸地、伊丹と灘五郷」のストーリーや主な構成文化財を見ていきましょう。
ストーリーの概要は…
江戸初期に伊丹で確立した醸造技術が、灘五郷(なだごごう)と呼ばれた西宮から神戸にかけての地域に広がって酒造業が盛んになり、『下り酒』として江戸で人気を博した。また酒造家たちの時代を先取りする気質が、『阪神間』の文化を育んだ。
という内容で、伊丹に端を発する阪神間の近現代史そのものと言えます。認定されたストーリーには4つの章がありますので、以下に各章の概要を紹介します。
1 「澄み酒(すみざけ)」の出現と「伊丹諸白(もろはく)」
伊丹市鴻池に建つ江戸時代の石碑に「鴻池家は酒造によって財をなし、慶長5年(1600年)から200年も続いている。(中略)鴻池家は、はじめて清酒諸白を製造し、江戸まで出荷した」と刻まれています。白く濁った「濁り酒」ではない「澄み酒(すみざけ)」が生み出された、「清酒発祥の地・伊丹」を伝える伝承です。
「諸白(もろはく)」とは、麹(こうじ)造りと清酒の仕込み、つまり麹米と掛米(かけまい)の両方に精白米を惜しみなく使う「諸白仕込み」という醸造技術でつくられた酒のことで、江戸初期に伊丹で技術が確立しました。この「伊丹諸白」と呼ばれた伊丹の酒は、大消費地の江戸で珍重されました。
現存する日本最古の酒蔵建築「旧岡田家住宅・酒蔵」
江戸時代の名所案内記『摂津名所図会(ずえ)』にも、「伊丹には造り酒屋60軒余りある。どの酒屋も美酒を数千石造り、全国各地に送り出している」と記されています。伊丹では、日本最古の酒蔵・商家の「旧岡田家住宅・酒蔵」が残る「伊丹郷町(ごうちょう)」や、清酒発祥の碑などを訪れることができます。
主な構成文化財等
摂津名所図会、日本山海名産図会、鴻池稲荷祠碑(しひ)、旧岡田家住宅・酒蔵、旧石橋家住宅、小西酒造「長寿蔵」、小西新右衛門氏文書、有岡城跡・伊丹郷町遺跡(以上、いずれも伊丹市)など
2 六甲の恵みと丹波杜氏が生んだ「灘の生一本」
六甲山の麓には東西12kmにわたり、「灘五郷(なだごごう)」(西宮市の「今津郷」「西宮郷」、神戸市の「魚崎郷」「御影郷」「西郷」)と呼ばれる日本最大の清酒酒造地帯が広がります。現在、清酒生産における全国シェアは25%で、上等な純米酒の統一ブランド「灘の生一本(なだのきいっぽん)」でも知られます。
西宮郷で汲み上げる、六甲山からの伏流水「宮水(みやみず)」は酒造りの天与の霊水と言われ、淡麗な「灘の男酒(おとこざけ)」を生みました。また、最良の酒米として知られる「山田錦」は、気候・土壌が適した六甲山北側に広がる水田地帯で、蔵元と農村が生産契約を結ぶ「村米(むらまい)」制度のもと大切に育てられています。
酒米の精白には、六甲山を流れる芦屋川などの急流を利用した大規模な水車を用いました。また、酒造りの職人として、六甲山の北、丹波地方の丹波杜氏(とうじ)が活躍し、酒造りの技を磨き、道具に改良を重ね、現代の清酒につながる酒造りのスタンダードを築きました。
灘五郷の伝統的な酒蔵は、六甲山から吹き降ろす冬の季節風「六甲おろし」を背に受けて建つ前蔵(まえくら)と大蔵(おおぐら)から成る「重ね蔵」です。蔵の配置や北面の窓の工夫により、六甲おろしを利用した効果的な冷却・換気を可能にしました。
このように、様々な六甲山の恵みと、酒造りの技を磨いた丹波杜氏によって、「灘の生一本」が生み出されました。
主な構成文化財等
宮水発祥之地碑(西宮市)、西宮郷・白鹿辰馬本家酒造本蔵(西宮市)、芦屋川水車絵図(芦屋市)、御影郷・白鶴旧本店壱号蔵(神戸市)、灘の酒造用具(神戸市)、灘の酒樽製作技術(神戸市)、灘五郷・酒造り唄(神戸市、西宮市)など
3 「下り酒」と「樽廻船」
下り酒を江戸へ届けたのは、樽廻船(たるかいせん)と呼ばれる酒輸送専用の船で、江戸時代末には年間100万樽、江戸で消費する酒の約8割を下り酒が占めました。樽廻船が出入りした港には、今津灯台(西宮市)や神崎の石灯籠(尼崎市)など、海上交通の守り神として信仰を集める金毘羅(こんぴら)さんを勧請した常夜灯が建てられ、航海を見守ってきました。
旧岡田家住宅・酒蔵(伊丹市)に展示された菰樽(こもだる)
また、船倉に積まれた酒樽が荒波で壊れたり、潮風で酒の味が落ちないよう、大切に菰(こも)で包む菰樽が開発されました。今日、華やかなな鏡開きに欠かせない菰樽づくりは、尼崎市塚口で全国8割のシェアを誇ります。
主な構成文化財等
樽廻船関係資料(西宮市)、灘酒造業関係資料(西宮市・関西学院大学ウェブサイトで公開)、今津燈台(西宮市)、神崎金毘羅さんの石灯籠(尼崎市)、菰樽づくり技術(尼崎市)、摂州伊丹酒樽銘鑑(伊丹市)、摂州酒樽菰銘鑑(尼崎市)など
4 酒造家が育んだ文化
酒造家たちは、江戸積み酒造がもたらした富を地域の芸術、文化、教育、建築などの発展に注ぎました。御影郷の白鶴嘉納家が設立した白鶴美術館(国宝2点を含む古美術コレクションを収蔵)や、魚崎郷・櫻政宗山邑(やまむら)家の別邸としてフランク・ロイド・ライトの設計により建てられた「旧山邑家住宅(現ヨドコウ迎賓館)」などは、こうした酒造家の気風を今に伝えるものです。
旧山邑家住宅(現ヨドコウ迎賓館) 芦屋市ウェブサイトより引用
こうした文化への眼差しは、今日「阪神間モダニズム」と称される近代文化が華開く核となり、近代化への思いは阪神間の都市の骨格を形作りました。伊丹・灘五郷では、酒造家のコレクションを展示する美術館や酒蔵を利用した博物館など20のミュージアムで、酒造家が育んだ文化に触れることができます。
主な構成文化財等
芭蕉短冊他俳諧資料(伊丹市)、なぎなた(伊丹市・修武館)、旧山邑家住宅(芦屋市)、私立灘中学校・高等学校本館(神戸市)、御影公会堂(神戸市)、そのほか国宝・国重文の典籍・絵画など多数
まとめ
空港所在地として全国的に有名な伊丹ですが、日本を代表する銘醸地として、酒造りの長い歴史を持つことは市外ではあまり知られていないのが現状です。「日本遺産」は、こうした地域の歴史・文化をストーリーに乗せて国内外に発信することを目的としており、今後の展開が期待されます。
折しも、日本最古の酒蔵建築を含む伊丹市の歴史・文化の中核施設「みやのまえ文化の郷」は、市立博物館の移転・統合に伴い2020年9月からリニューアル工事に入り、総合ミュージアムとして再整備するとともに、観光・集客施設としての機能を強化し、2022年4月に再オープンする予定です。「日本遺産」への認定でこうした動きに弾みが付いて、全国・海外から多くの人が伊丹に訪れるようになると良いですね!
[文・構成:マルコ@ECHO]