公開日:2020年01月21日
ITAMI ECHOでは、今年度で設立50周年を迎えた伊丹市少年少女合唱団(以下、合唱団)の活動を紹介する特別企画記事を合唱団のご協力を得て、数回に分けて掲載しています。
前回の第1話では、合唱団が誕生した50年前、つまり昭和44年(1969年)に焦点を当て、設立当時の合唱団の様子や、その頃の伊丹の街の雰囲気などを紹介しました。
伊丹市少年少女合唱団は、伊丹市内在住の小学3年生から高校3年生までの61名の団員で構成され、「歌は心のハーモニー」をモットーに、団員出身の指導者(合唱指揮2名、ピアノ伴奏2名)とともに伊丹アイフォニックホールを本拠地として活動しています。
第2話となる今回は、合唱団を長く率いてきた故・菱本清子(ひしもと きよこ)先生や、現在の先生方にスポットを当てながら、合唱団の音楽教育活動についてご紹介します。
(文末に、2020年1月25日(土)開催の見学会、同3月22日(日)開催の設立50周年記念 第42回定期演奏会の案内があります)
毎年4月下旬、合唱団では「菱本先生を偲ぶ会」という行事が行われます。この日は、アイフォニックホールの練習室に「祭壇」が置かれる特別な日です。
合唱団の設立時から、平成15年(2003年)に72歳で急逝する直前まで合唱団の指導者を務め、かつて合唱王国と呼ばれた伊丹の黄金期を築いた菱本先生をしのび、現役の団員に思いをつなぐための大切な行事となっています。
アイフォニックホールの練習室に飾られた「祭壇」
練習前にしつらえられた「祭壇」には、菱本先生の写真やお花とともに、先生が好きだったというコーヒーとマロングラッセが供えられます。少し早めに練習を切り上げ、かつての教え子であった現在の先生方が交代で、菱本先生にまつわるエピソードを現役の団員に話し、菱本先生の教えや思いを共有します。
その菱本先生とは、どんな先生だったのか。合唱団の音楽教育活動を語るにあたり、まずはその話から始めたいと思います。
菱本清子先生は、昭和5年(1930年)大阪生まれで、大阪音楽高等学校(後の大阪音大付属音楽高等学校、1981年閉校)ピアノ科を卒業したのち、昭和25年(1950年)に音楽教諭として伊丹小学校に赴任。学校勤務のかたわら、当時新設されたばかりの大阪音楽短期大学の第二部に入学し、昼も夜も音楽に励む日々を送りました。
若き日の菱本先生と伊丹小校舎〜1959年度の伊丹小学校卒業アルバムから。校舎は着色された白黒写真
伊丹小ではコーラス部を率いて、戦後始まった各種の音楽コンクールで数々の輝かしい成績を収め、当時の伊丹を合唱王国と言わしめた快進撃が始まります。
菱本先生は39年間の教員人生において、伊丹小学校、南小学校、緑丘小学校、そして再び伊丹小学校に勤務しました。着任した各校でコーラス部を立ち上げると、菱本先生が指導するコーラス部はまるで魔法にかかったかのように、NHK全国学校音楽コンクールなどの県大会、地区大会、全国大会で毎年のように優秀な成績を上げ続けました。その特別な指導力から、菱本先生の指揮は“魔法の手”と呼ばれ、名声は全国に知れ渡りました。
菱本先生の勤務歴
菱本先生の旺盛な音楽探究は学校教育の枠にとどまりません。設立当初から一貫して指導を続けてきた伊丹市少年少女合唱団を舞台に、より自由に全国・世界へと広がります。
関西合唱コンクール「一般の部」に学生や社会人の合唱団体に混じって出場し、数々の賞を受賞するだけでなく、合唱団を率いて北海道から九州まで、全国各地の合唱祭に出演しました。
また、昭和50年(1975年)のプラハ少年少女合唱団伊丹公演への賛助出演を皮切りに、来日した海外の少年少女合唱団と毎年のように共演・交歓するなど、音楽を通じた国際親善にも熱心に取り組みました。平成元年(1989年)には、伊丹市の姉妹都市であるベルギーのハッセルト市で、合唱団の海外公演も実現しています。
伊丹市の姉妹都市、ベルギーのハッセルト市の風景:Thebeautyparlorisfilledwithsailors by wikipedia
こうして伊丹から全国・海外に羽ばたいて、歌を届ける喜びを経験した団員の中からは、音大・芸大に進学した生徒も多く、プロのオペラ歌手やミュージカル俳優をはじめ、数々の音楽人を輩出してきました。音楽を仕事にしていなくても、その後の人生において何らかの形で音楽を続けている人が多くいます。
半世紀に渡る伊丹市少年少女合唱団の活動は、伊丹で多くの音楽ファンを育て、伊丹の市民音楽文化の一翼を担ってきたと言っても過言ではないでしょう。
平成4年に菱本先生自身が半生を振り返って寄稿した文章があります。合唱を通して伊丹の子供たちの音楽教育に人生を捧げようと決意したことや、初めて大きな大会で金星をあげた時の喜びが、菱本先生自身の言葉で語られています。ここに一部抜粋して紹介します。
「私の教育小史」
伊丹市少年少女合唱団指導者、武庫川中学校非常勤講師
菱本 清子
音楽教育の道を歩んで四十年。教え子たちの美しい歌声やピアノ演奏を聴くたびに、「心の花が思い切り開いてよかったなあ」と幸せを感じる今日この頃です。
昭和二十五年、私は、音楽専科として、伊丹小学校に勤務していました。ある日、阪神間の音楽会に出場した伊丹小学校の子供の演奏を聴かれたM先生が「伊丹の子の声が悪いのは水のせいでは」とおっしゃいました。それが私の音楽の道探究の始まりでした。
音楽表現法の研究、発問の分析、伴奏法、指揮法、発声法の研究等々。幸いなことに、この当時はいくらでも勉強ができる雰囲気がありました。その成果は、昭和二十八年のNHKの音楽コンクールに表れました。故森口直政先生指揮、私の伴奏で出場した子供たちが初めて近畿代表に選ばれたのです。伊丹駅に帰りついた時、大勢の先生方が「祝近畿一」と書いた大旗を持って出迎えてくださっていました。忘れられない思い出です。
(以下省略。南小学校、緑丘小学校時代のエピソードが続きます)
菱本先生の“魔法の手”は、ある日突然身についた力ではなく、絶ゆまぬ音楽研究のたまものだったことがうかがえます。菱本先生の真っ直ぐな文章からは、「声が悪いのは水のせい」などという、伊丹の子供たちに向けられた心ない言葉を、輝かしい実績ではね返してきたことへの自負が感じ取られます。
こうして伊丹の音楽教育のため尽力された菱本先生は、どのようなお人柄の方だったのでしょうか。
伊丹市少年少女合唱団が、平成28年に自主運営団体となるまでは伊丹市の直営だったことは前回の第1話でも書きました。平成2年~4年に事務局職員として合唱団の運営に携わり、当時の菱本先生に間近で接してこられた伊丹市職員の松本聖子さんに、先生との思い出などについてメッセージを頂きましたので、以下に紹介します。
伊丹市少年少女合唱団50周年おめでとうございます。
社会人になり、私の最初のお仕事が伊丹市少年少女合唱団の事務局でした。そして、その当時の指導者が、菱本清子先生でした。私は新人だったので、頼りなく、教えてもらうことだらけだったのですが、そんな私にも親しく接してくださいました。
合唱に対して先生はとても熱心で妥協は許さず、コンクールの前には臨時練習をたくさん取られ、よく部屋が見つからず困ったことを覚えています。
厳しい反面、女性らしくて柔らかい雰囲気の方でした。2人で日帰り出張することもあり、「私よく食べるでしょ」って幸せそうにエビフライを食べている先生の笑顔が、今でも脳裏に焼きついています。
熱血指導の菱本先生のおかげで、合唱団はコンクールなどで多数の受賞歴があり、団員の中からプロも生まれて、指導者や伴奏者も教え子が立派に育っています。
今まで半世紀、合唱団が続いてきたことも菱本先生のおかげです。
菱本先生ありがとうございました。
50周年おめでとう!伊丹市少年少女合唱団!!
エビフライのエピソードから、気さくでチャーミングな菱本先生の一面が伝わってきますね。
平成15年(2003年)、34年間の長きにわたり合唱団を指導してきた菱本先生が他界されました。その後は、後任の責任指導者に就任された原田祐子先生とともに、かつて団員だった先生方が指導を引継いできました。
合唱団の設立から半世紀を経て、指導者も団員も世代交代が進みましたが、特別な日である「偲ぶ会」や日々の練習の中で、伊丹の子供たちの歌声を愛し、音楽教育に人生を捧げた菱本先生の遺志が受け継がれています。
コーヒーやマロングラッセだけでなく、大好きな歌声にじっと耳を傾けて、「祭壇」から練習を見守る菱本先生のお顔は、どことなくうれしそうに見えますね。
現在、合唱団の指導にあたる先生は、写真の右から久永三栄子先生(伴奏)、石丸絢菜先生(指揮)、川端宏枝先生(指揮)、東久美子先生(伴奏)の4人で、いずれも団員出身者。卒団後、音大・芸大で声楽やピアノを専攻して本格的に音楽を学び、指揮者・伴奏者として再び合唱団に戻って来られました。このことも、伊丹市少年少女合唱団の大きな特徴と言えます。
現在の合唱団の音楽教育活動について知りたいと思い、4人の先生方に現在の団員への指導にかける思いや、ご自身の団員時代の思い出などを伺いましたので、以下に紹介します。
1.どういうことに重点を置いて合唱指導をしていますか?
2.合唱団の活動を通じて、現役の団員に伝えたいことは?
3.ご自身が団員だった頃の印象深い思い出は?
4.団員時代に学んだことで、その後の音楽活動や人生において生かされていることは?
先生方、興味深いお話やメッセージ、ありがとうございまいた。
伊丹市少年少女合唱団が活動を通じて目指すもの・・・それは、美しい歌声を響かせることだけでなく、普段の練習や演奏会の準備・出演など活動の全般を通じて、子供たちの心と人格を育てていくこと。
これが、4人の先生方のお話に共通し、また強調されていたことではないでしょうか。そしてそれは、合唱団を長く指導してきた菱本先生が、音楽者である前にまず教育者として、合唱だけでなく礼儀作法や取り組む姿勢など、人を育てることを重視してきた伝統がしっかりと引き継がれていることの証しではないかと感じました。合唱団のモットーが「歌は心のハーモニー」というのも、うなずけます。
最後にもう一度、菱本先生の言葉を引用して、第2話をしめくくりたいと思います。
音楽教育の専門誌『教育音楽』の昭和61年(1986年)1月号で、前年のNHK全国音楽コンクールの特集が組まれた中に、菱本先生が「ねばり強くやりぬく子を育てる」と題して寄稿した文章があります。以下に、一部を抜粋し紹介します。
「ねばり強くやりぬく子を育てる」(一部を抜粋)
コンクール出場という目標を持って歩む日々、このことは、その時代その時代を精一ぱい生きている証しであり、最高の音楽を共に創り上げていく思い出の中で、自然に、思いやりのある子、そして、ねばり強くやり抜く子、人間として生きていく一番大切な心が培われていく、と信じている。
あわせて、平成9年(1997年)4月に、菱本先生が卒団生へのはなむけに記した自筆のメッセージも紹介します。ご自身が大変な努力を重ねながら、音楽教育の道に身を捧げた、菱本先生の熱い思いが伝わってきます。
(テキスト)祝 卒団おめでとう道なり 唯一筋の 起伏ありされど 陽は輝きぬ菱本清子 平成九年四月二十七日
(第3話へつづく)
1月25日(土)午後3時〜4時
東リ いたみホール(伊丹市立文化会館)6階中ホール
練習見学と合唱体験を30分、その後入団説明などを行います。
見学会は事前の申し込みが必要です。
電話(070−2297−8294)または合唱団ホームページのフォームからお申し込みください。
ケーブルテレビ局ベイコムで2020年1月6日に放送された伊丹市広報番組「伊丹だより」で、伊丹市少年少女合唱団の活動の様子(コンサートや練習風景、指導者・団員・OBへのインタビュー等)が紹介されています。
(ベイコム放送番組の動画(Youtube)へのリンク)
伊丹だより2020年1月6日号 市政情報「歌は心のハーモニー 伊丹市少年少女合唱団」
令和2年3月22日(日)13:30開場、14:00開演
伊丹アイフォニックホール メインホール
伊丹市宮ノ前1丁目3-30
伊丹市少年少女合唱団および卒団生
要整理券(無料)
令和2年3月初旬、アイフォニックホール、市役所4階のこども若者企画課にて整理券配布予定
Written by マルコ