公開日:2021年01月16日
クロスロードカフェで好評開催中(〜2月11日)の北窓優太さんの個展『LIFE & SLUMBER(ライフ&スランバー)』に合わせて、ITAMI ECHOでは北窓さんご本人にインタビュー取材を行いました!
インタビューでは、今回の個展のコンセプトや作品の世界観について、また、イラストレーター/デザイナーの仕事をすることになった経緯や、伊丹との関わりなど、興味深いお話を伺うことができました。
今回は、インタビューの後編として、主に現在のお仕事のことや伊丹との関わりについてお話を伺っています。ぜひ最後までご一読ください!
※インタビューに挿入したイラスト、グラフィックデザイン等は北窓優太さん提供
ーそれでは、お仕事についても、例えばどんなことをされているか伺ってもいいですか?
僕は今、仕事ではイラストからグラフィック、アートディレクションまで担当させてもらっているので、幅があってあまりピンと来てもらえないのですが……。
これはUCCさんのコーヒーカクテルのブランドブックみたいなものを、一冊まるごと担当させてもらったものです。メインのイラストがあって、これは僕が描きましたが、イメージ写真も、先に僕が撮影ラフを描いて、こんな感じで撮影しましょうというディレクションをした上で、カメラマンやコピーライターとタッグを組んで、イメージや世界観を一緒に作っていきます。もちろん、冊子全体のグラフィックデザインも担当して……というような感じで、これ一冊まるごとを担当させてもらいました。
ー「アートディレクション」とおっしゃっていましたが、もう少しどういう役割なのか、教えていただけますか?
そうですね、プロジェクトでもプロデューサーとか全体のディレクターとは違う、見た目に特化した部分では、全部を調整する役割というのがアートディレクションでしょうか。全体のコンセプトの提案も、見た目にリンクする部分なのでやらせてもらうことがあります。
ひとつのプロジェクトを一本の線に例えるならば、イラストや写真はその途中に点在するもの。僕の感覚で言えば、グラフィックデザインは線を少し長めにとらえるポジションですが、線の全体を俯瞰していくのがアートディレクションとなります。仕事が流れていく仕組みの中で、線の始まりからでも途中からでも協力できる、要望に応じてどの切り口からでも入っていけます、みたいなスタンスでやっています。
ー続いて、北窓さんと伊丹との関わりについても伺います。伊丹に関わり出したそもそものきっかけは何だったんですか?
きっかけは、昔バンドをしていた兄が、今はZUVALANGA(ズワランガ)というアフリカンワイヤー&ビーズアートのユニットをしていて、クロスロードカフェで個展をやったことです。兄から、「伊丹がおもろいぞ、お前も一回行ってみたら?」と言われて、そのまま引っ張られたという感じだったと思います。それで、クロスロードカフェの荒木さんやピロンさんに出会い、そこから、ITAMI GREENJAMの関係者にもつながりました。
ーITAMI GREENJAMと関わり始めたのはいつ頃からですか?
台風で中止になった2016年の時に、ライブペイントをしてくれないかと誘われたのが最初です。その時は中止になったのですが、その後もクロスロードカフェに遊びに来るようになり、いろんな人と関わって、誰が何をしているのかも分かるようになってきました。2017年にもう一度ライブペイントをやって、それでGREENJAM関係者とのつながりが深くなり、今は結構やり取りさせてもらっています。
ー昨年9月の「ITAMI CITY JAM」でもビジュアルを担当されていました。また、ITAMI CITY JAMの時は、その前の2019年11月に大阪府池田市で北窓さんたちが開催したイベント「BOTAFES(ボタフェス)」のテイストも入っていましたね。
BOTAFESは、池田市の市制80周年を記念するイベントとして、僕の故郷で細河という植木業が盛んな地区で、“植物由来”(ボタニカル)なフェスティバルをコンセプトに開催したイベントです。伊丹に来るようになって、GREENJAMとか、伊丹まちなかバルとか、イタミ朝マルシェとかを見せてもらううちに、伊丹のそうしたパワーに感化されたというか。
府県境をまたぐとは言え、隣町なのにこんなにも差があるのかと思っていたのですが、それは僕に見えていないだけで、池田にも頑張っている人たちがいるかも知れないと思ったんです。そういう人たちがいるなら、つながって何かお手伝いがしたいと純粋に思って、大阪のクリエイター界隈の集まりでそうしたアイデアをポツポツ言うようになりました。そしたら、いろいろな人とつながっていって、紆余曲折はありましたが、チームと一緒に考えて新しい形を作っていったというのがBOTAFESなんです。
伊丹の人たちには、めちゃくちゃ助けてもらいました。クロスロードカフェも出店してくれたし。そんなわけで、一昨年のITAMI CITY JAMでは、「BOTAFES エリア」として池田のチームでイベントの一角を任せていただきました。
ーそうした相互の関係性を見ていると、伊丹と池田が、ある意味で姉妹都市化してきた感じがしますね(笑)。
さて、最後に、これからのことについて伺います。今後の作品づくりの方向性とか、何か考えていることはありますか?
自分のオリジナル作品で表現していきたいことって、んーなんだろうなー。今のところ、穏やかさとか安心みたいなものを、もっと分かりやすくみなさんに伝わるように、でも全部言うような野暮ったい分かりやすさではなくて、ということをもっと突き詰めるのかなぁ。
僕ね、こういうことを話し始めると、どんどん難しい話になりそうだし、話がアーティスティックになっていきそうですが、本当にアーティストじゃないので(笑)。だから、別にアートに詳しい人じゃなくても、例えば高校の時の同級生とか、近くにいる人とかに分かってもらえるようなところで、ずっと表現していきたいですね。答えになってるかなぁ(笑)。
オリジナルの表現を突き詰める中では、僕の場合は絶対に並行して仕事が隣にあって、一つ一つの仕事でパワーアップしたり、新しい方向を見いだしてもらったりと、新しい扉を開くきっかけをもらうことって多々あるんですね。だから、頂いた仕事に育ててもらって、いろんな引き出しを増やして、それがオリジナルに反映されることもあるし、そこは絶対に切り離せないですね。
ー今後、もっと予想もつかない展開もあるのかな?と期待しますが(笑)。
そうですね、だいたい何も考えてないんです(笑)。そのへんが不マジメでいけないんですけど。でも、バンドはやめちゃったけど自然と絵を描き始めたり、表現すること自体はきっとやめられないと思うんです。僕に至っては、才能とかではなくて、全てがこれまで続けてきたことの集積でしかないと思っていて。そういうものにしがみつく時代もあったんですけど、しがみついて離さないでいた中で、何となく自分のやりたい方向性、できる方向性があって、その中での喜びを見つけてきて、今に至るという感じです。
いろんなプライドはいくつもドブに捨ててここまで来たんだけど、今、将来に向けて何がしたいかと聞かれたら、めっちゃカッコつけた言い方ですが、自分の生きがいを仕事にして息子を育てていること、ですかね。こんな言い方したら、あんただけが働いてるんちゃうぞと家族に怒られそうですが(笑)。まぁ、たぶん財産とかは残せないだろうけど、そういう背中だけは見せていくぞみたいないことは、これからも一個だけちゃんと守っていきたい目標みたいな感じです。
ー今日はいろいろとお話いただきありがとうございました!今回の個展も、これからの展開も、とても楽しみですね。
<インタビュー後編おわり>
1982年大阪・池田市生まれ、豊中市在住。
大阪デザイナー専門学校卒業後、スポーツ系デザイン会社でのデザイナーや、企業での広告、株式会社188にて様々なアートワークを経験。イラストを中心に、グラフィック・写真加工など、バラエティ豊かな「ビジュアルづくり」を得意とするイラストレーター/グラフィックデザイナー。
※緊急事態宣言に伴う営業時間短縮要請により、開場時間と開演時間が変更になりました。
Written by マルコ