公開日:2019年08月27日
伊丹郷町の東西南北を結ぶ十字路に面した「クロスロードカフェ」は、毎月入れ替わりでアート作品が楽しめるギャラリーカフェ。8月はカジュアルなアフリカ雑貨やアートを集めた「TANZANIA-イロのある生活-」(~9月1日(日)まで)が開催されています!
そこで、ITAMI ECHOでは、今月のギャラリー出展者の竹田士郎(たけだ しろう)さんに、今回のギャラリーのコンセプトやアフリカ雑貨の魅力についてインタビューを行いました!
また、アフリカ(タンザニア)との出会いなど興味深いお話も伺いました。前編・後編と2回にわたりスペシャルインタビューをお届けします!
2019年8月18日
クロスロードカフェにて取材
インタビュー前編はこちら 。
ー竹田さんは音楽活動もされてますよね?タンザニア音楽を演奏するグループ「JT☆STARS」のメンバーとして、これまで伊丹まちなかバルと同時開催の音楽イベント「伊丹オトラク」にも出演されてます。伊丹ではミュージシャンとしての竹田さんをご存知の方も多いかと思いますが、ここからは、竹田さんと音楽やアフリカの出会いについて伺いたいと思います。
僕は小さい頃から音楽が好きでした。うちの家は、日本の歌謡曲や演歌が流れていたことはなくて、親の好みで洋楽でした。ホイットニーヒューストン、ビートルズ、ジプシー・キングスなどなど。
ーすごい環境ですね!じゃあ、自然と洋楽が好きになったんですか?
僕は昔から音楽は雑食で、中でもブラック・ミュージックが好きでした。ヒップホップはメッセージ(歌詞)が分かってこそなので、それよりR&Bやソウルとか歌い上げる系に。それからレゲエに行って、それに合わせて歌詞を知りたいから英語を勉強したりだとか。いつかはブラック・ミュージックの元をたどってアフリカに行こうかな、とは思ってました。
ーなるほど、そこでアフリカにつながっていくんですね。
そうなんです。もう一つ、ものづくりも子供の頃から好きでした。小2の夏休みの自由研究で、全部ビーズで動物園をつくってた。小6のときには、履いていたジーパンのチャックを使ったリュックを作りたくて、親も使ってなかったミシンを引っ張り出して、それを革とカッコよく合わせてみたり、手芸屋さんにハギレとか買いに行って。
ー小6で、自分でカバンを作ってたんですか!?しかも、なかなか斬新ですね(笑)。
そう、そんな風に何か作るのがすごく好きで。だから副教科は成績がすごく良かった。副教科の男なんです(笑)。だから、いつの間にかモノを作ったりするのが好きだったし、小学校の時から吹奏楽もしていて、音楽も好きだった。あんまり今とやっていることが変わってない(笑)。
ー子供の頃と今がずっとつながってる。ある意味とってもうらやましいです。
でも、変わってきたこともあって、昔は国語や英語はすごく嫌いだったのが、20歳前後の頃に英語を勉強し始めたのをきっかけに、タンザニア の初渡航後には、国外の文化を知るにはそこの言葉を知らないと深く奥まで知ることはできない、と思うようになりました。
ゴゴ民族音楽はとても文化的な要素を持ってるので、彼らの生活環境から多くが生まれてきている。いわば民謡ですね。音として歌として、教科書がわりに歌がどんどん残って歌い継がれ、歴史が日々更新されている状態。
だから言葉を勉強する必要性を感じて、より深く知るためにも知ってもらうためにも、スワヒリ語を勉強するようになりました。逆に英語を勉強しなくなってゼロどころかマイナスになったので、また勉強したいと思ってますけど(笑)。
スワヒリ語は生活に困らないくらいは話すので、たまに通訳のお仕事で来日アーティストのツアーやイベント同行などもします。とあるイベントで、来日作家のワークショップの同時通訳をしながら、同時に「リンバ」(親指ピアノ)の音を乗せていくという、すごい難題をぶつけてくるお知り合いもいたりして、おかげさまで妙な経験値が上がったりと嬉しい限りです(笑)。僕がやってるのがゴゴ人の音楽なので、もちろんゴゴ語の勉強もしていて…と、ふと思い返すと、昔と真逆!?な状態が面白い。今は語学の勉強けっこう楽しんでます。
ー確かに、言葉が通じるからこそ見えてくる、もう一つ奥の世界があるんでしょうね。ところで、アフリカに行こうと思って、選んだ国がタンザニアだったんですか?
なぜタンザニアかと言うと、たまたま僕の周りにタンザニアとの縁があったから。はじめは、仲のいい友達に「来年あたりアフリカ行ってくるわー」って宣言していた。そしたらたまたまその中に、タンザニアに友達いるから紹介しようか?と言う友達が二人もいて(笑)。
ーアフリカってだけでも知ってる人はすごく稀な気がしますが、タンザニアの関係者が二人もいたなんて、すごい偶然ですね!
そうなんです!それで、これはちょっと乗っかりたいなと思って。アフリカの情報もないし、怖さもあったから。最初にタンザニアに行ったのは2006年。紹介してもらった友達の友達にも会えました。
ー実際にタンザニアに行ってみて、どうでしたか?
そのときは3か月弱いました。せっかく行くなら、踏ん張って決めたことやから、ちょっとでも長くいないともったいない。初めは主要都市のダルエスサラームやその周辺で見て回れるところを見ながら、あとは道端の人にスワヒリ語を教えてもらったり、知り合った日本人にアドバイスもらったりして過ごしていました。
いいことも悪いこともあるけど、周りをちゃんと冷静に見れば、悪いことも、そりゃこうなるよなと納得ができる。だからしょうがないよなと、自分の中で腑に落ちました。
ーずっと、そのダルエスサラームという街にいたんですか?
基本的には、そこから北に70kmくらいの、バガモヨという海辺の街にいました。ダルエスサラームで、太鼓やダンス、そして今僕が演奏する「リンバ」というゴゴ人(民族)の親指ピアノを習えるところがあるよと聞いて、そこがバガモヨでした。バガモヨは、芸術大学もあってアーテイストやミュージシャンが集まる街なんです。
タンザニア の伝統楽器「リンバ(親指ピアノ)」:kwa MALOGOウェブサイトから転載
ー「リンバ」(親指ピアノ)は、タンザニア に行く目的の一つだったんですか?
いや、タンザニア 情報を調べたら「リンバ」が少しでてきたら知ってた程度。そのときは太鼓を習いたかったんです。結局、リンバ奏者やってますけど。
リンバ奏者でもあるし、スワヒリ語の通訳もたまにしてるし、ものづくりもしてるし、できることは何でもやっている。タンザニアでは、どローカルな生活をしてる友達が多いけど、一つに絞らず何でもできることはして食いつないでいく感じを実感してます(笑)。同じことやっているわと。そのどれも僕です。
ー今後の展望というか、やってみたいことがあれば教えてください。
ここ数年こういうのやろうやと言っているのが、この絵を描いたモヨと、もう1人一緒に展示会をやった友人がいて、3人で何か共通のモノを決めて、例えば布を決めて、その布でそれぞれ創作をする。それこそ絵であったり、服であったり、雑貨であったりすると思うんですけど、そういうテーマのある創作をやってみたいです。ただ一緒に場所を借りての共同展示じゃなくて、「共通軸のある三者三様」な感じ。見ててもその方が絶対楽しいでしょ!今はそれぞれ環境の変化もあるので、形になるのがいつかは分からないですけど。所もバラバラなので、まだ形になっていないですね。
あと、タンザニアでkwa MALOGO(クワァ マロゴ、竹田さんのショップ)の商品ラインとかお店を作りたいとも思うし、普段は「アフリカン・カジュアル」がテーマの、日常に使えるものをコンセプトに作りつつ、それとは別にオーダーメイドでドレスとかアーティストの衣装を作ったりもしてるんですけど、そういう創作的なドレスラインみたいなものも作りたい。イメージを作ってそれを形にしていってという、すごく時間を費やして作るようなものは、大変だけどやっぱりすごく面白い。同じものばかり作ると飽きることもあって、そういうオーダーメイドもやっているから上手く気持ちを消化できてるみたいなところがあるんですよね。それ誰が買うん?みたいなのとかをできたらなと(笑)。
ーお話を伺っていて、創作のアイデアがどんどん膨んでいく感じが伝わってきました。竹田さんの今後のご活躍を楽しみにしています。本日は長い時間、ありがとうございました!
こちらこそ、どうもありがとうございました。
【インタビューを終えて】
竹田さんが、終始、大きなジェスチャーでお話することや、ハハハと笑いながらも、時には真摯に遠くを見つめるようにお話する様子が印象に残りました。たぶん、たくさんのタンザニア人の友達の顔を思い浮かべながら、思わず体が動きながら、お話いただいたのだと思います。
1時間を超えるロングインタビューにお答えいただいた竹田さんや、取材にご協力いただいたクロスロードカフェ様、どうもありがとうございました。
インタビューの前編はこちらから。
[取材協力]クロスロードカフェ
Written by マルコ