公開日:2021年01月15日
クロスロードカフェで開催中(~2月11日)の北窓優太さんの個展『LIFE & SLUMBER(ライフ&スランバー)』に合わせて、ITAMI ECHOでは北窓さんご本人にインタビュー取材を行いました!
伊丹では、イベントのメインビジュアル等で北窓さんのイラストを見かける機会が増えたと思いますが、北窓さんご自身のことは知らない方も多いと思います。インタビューでは、今回の個展のコンセプトや作品の世界観について、また、イラストレーター/デザイナーの仕事をすることになった経緯や、伊丹との関わりなど、興味深いお話を伺うことができました。
前編と後編の2回に分けて記事を公開しますので、すでに個展に行かれた方も、個展に関心のある方も、ぜひご一読ください!
※インタビューに挿入したイラスト、グラフィックデザイン等は北窓優太さん提供
ーまず、今回の個展について伺います。タイトルの「LIFE & SLUMBER」とは、どういう意味ですか?
依頼を受けた仕事としてではなく、僕がオリジナルで描くときは、一貫して「穏やかさ」や「安心」を与えたいと思って表現しています。今回、それを表すタイトルを考えた時に、まず、日々の暮らしやライフスタイルとか、カルチャーとか、いろんな動物・植物・人間が生きていることとか、そういうのをひっくるめて「LIFE」と捉え、その日々の中でほんのいっときでも、心穏やかになれるひとときを「SLUMBER(まどろみ)」として、生きていること(LIFE)と、その中でのまどろみ(SLUMBER)という意味のタイトルを付けました。
ー穏やかさや安心を表現されるのは、どうしてですか?
なぜでしょうかね(笑)。まぁ、ひとつあるのは、専門学校にいた頃、周囲にいろんな表現をする人がいて、例えば社会問題をテーマに表現する人、中にはネガティブなことばかり描いている人もいました。一番自由な自己表現の世界なので何を描いてもいいのですが、そんな中で、せっかくなら自分は少しでも人に心地いいものを与えられる表現をしたいと考えるようになりました。これはひとつのきっかけだったかも知れません。
わざわざ問題提起をしなくても、みんなそれぞれの人生でしんどいことはあるし、みんなそれを乗り越えて来ている。だから、僕が表現するものは、心地よくなれるものがいいと思っています。
ー北窓さんのイラストは、絵の中に描かれている人たちが、それぞれ自分の好きなことをしていて、そのことが肯定されているような世界観を感じます。スポットライトが当たっている誰かを周りの人が注目するのではなくて、一人一人が自由にしていいよ、みたいな雰囲気というか。
めちゃくちゃ嬉しい解釈です!まさに、それが言いたくて。最近よく、多様性という言葉を聞きますけど、本当の多様性は、みんなそれぞれに好きなことをしたらいい、別に好き嫌いはあってもいいけど、基本的なところで認め合うことではないかと思います。
動物を一緒に描いても、動物に「よしよし」しているようなのは、少しやり過ぎというか。動物たちが一緒にいるけど、お互いに怯えることなく、だからと言って安易に近づくのでもないという空間が、僕の中では理想なんです。動物・植物・人間たちが同じシチュエーションの中に存在しているだけで、それはある種のファンタジーだと思います。実際にはそんなシチュエーションはあり得ないから。だからこそ、同じ空間で怯えることなく一緒に存在しているだけで、その空間って安心だと思うんです。
ひと昔前は、穏やかさとか安心というものを「夜の中にともった明かりに集う人々」みたいなもので表現していましたが、最近は夜というシチュエーションにはこだわらず、いろいろな表現で描くようになりました。さっき言ったような「一緒にいるだけでファンタジーだけど、それだけで安心できる瞬間」みたいなことを絵にするようになったのが、最近の作品かなと思います。
ー楽器を演奏している人が描かれた作品も多いですね。音楽がお好きなんですか?
もともと、ハイ何か描いて!って言われたら、だいたいはアコースティックギターを弾いている人を描いちゃうんですよね(笑)。それは昔、バンド活動をやっていた時の習性みたいなものかもしれません。穏やかさや安心をテーマに、何かオリジナルの絵を描こうとするとき、何を描こうか想像を巡らせる中で、やはり音楽があるシチュエーションは出てきがちで、結構描きますね。
そうした世界を表現したいと思うに至ったもの、その集積の中にある経験の一つとして、若い頃、昔のバンド仲間とたまにお酒を飲んでいて、自然とセッションが始まるような、アコースティックな音楽で、アコギとカホン(木箱型の打楽器)とウッドベースみたいな感じで、酔って心地いい気分の中で、心地いい即興のメロディーが自然と始まって漂ってくるみたいな、そうした空気に身を置いてきた期間が長かったので、その時の記憶は大きいのかな。
ーバンド活動をされていたということですが、最初は絵ではなくて音楽だったんですか?
僕は3人兄弟の一番下で、物心ついたときから兄弟で絵の勝負をしていたんですけど、いつも必ず負けてたんですよ。それでも僕は絵を描くのが好きで、小学生の時も、昼休みにみんなが外でドッジボールをしに行くのに、僕だけ一人教室で絵を描いていて、先生に心配されました。別にのけ者にされていたわけではなくて、ただやりたいことをやっていただけなんですけど。
それが、小学生の時に『スラムダンク』という漫画が流行って、パタっと絵を描くのをやめて、バスケ一筋になりました。それからずっと描いてなくて、バスケはそのあと怪我をしてやめちゃったんですけど、その後も絵は全然描いてなかった。
再び絵を描くようになったのは、高校を卒業してバンド活動をしていた時です。バンドのチラシを作るのに、当時パソコンも持ってなかったし使えなかったので、イラストだけでなく文字情報も全部ペンで手書きしました。それをコンビニでコピーして配って回ったんです。長いブランクを経て絵を描き始めたのは、その時ですね。
ー結構長いブランクでしたね。そこから、どうしてバンド活動から絵を描く方に変わっていったんですか?
バンド活動は高校を卒業してから3年間、ギターとボーカルをしていましたが、下手くそ過ぎてクビになったんです(笑)。僕の兄もメンバーで、そのあと兄がベースボーカルになり、3ピースバンドのスタイルになるんですけど。バンドをやめた後は、お金を貯めたりしながら友達と一緒にアジアを旅するようになりました。
ある時、旅に出る前に、兄のバンドが初のCDアルバムを出すということで、ジャケットのイラストを頼まれました。白黒のペン画で草原に咲く彼岸花を描いて、彼岸花だけを赤く塗りました。それがカッコいいと思って、バンドのメンバーも同感で、それを仕上げて旅に出たんです。3か月の旅でしたが、自然と絵を描くようになりました。
ー旅のスケッチのような、写生的な絵を描いていたんですか?
写生的なスケッチではなく、どちらかと言えば、旅の中で感じた心情などを絵に描きましたね。それで、なんとなく絵を仕事にしたいと思うようになって帰国しました。そしたら、バンドのCDが発売されていて、タワーレコードでも売られていたのですが、そのジャケットを見たら、誰か知らない人に勝手にパソコンで着色されていて、めっちゃ気持ち悪い色になってたんですよ。タワレコに並んでいる嬉しさと、わけの分からない色に塗られた悔しさが混在して、よく分からない気持ちになりました。今思えば、絵を描く道に進みたいと思った本当のきっかけは、それかもしれない。
それからお金を貯めて専門学校に行って、いざ卒業となった時に、基本的にイラストレーターという職業は自営業なので、就職しようと思えば、キャラクターやファンシーグッズを作る会社とか、デザイン事務所とかの選択肢があって、グラフィックデザインの会社に飛び込んだんです。社会人になったスタートが遅くて、その時は26歳でした。
ー少し話は変わりますが、3年前の個展と比べても、少しずつ絵のテイストが変化している気がします。そういうのは、どっかでひらめいたり獲得したりするんですか?
絵のテイストはずっと模索しているし、今もマイナーチェンジを繰り返して、徐々に変化している最中です。ただ、どっかで獲得したというよりは、今までの仕事の一つ一つに育ててもらったと感じています。こういうことを求められたから、こうしてみたら上手くいったとか、だったら自分のオリジナルの絵でもこんなことをしてみようというように。案件を頂いたときに、これとこれを掛け合わせて提案してみようとか、アイデアを気に入ってもらえて良かった…ということの積み重ねです。そうやって仕事に育ててもらって、この形におのずとなったし、これからも変化していく。
ーオリジナルで描く絵と、仕事として関わる案件が相互に影響しているということですか?
誤解を恐れずに言うと、僕はいわゆるアーティストではなくて、商業イラストレーター/デザイナーなので、例えば今回の個展をやる目的も芸術家の方とはちょっと違っていて、1枚の絵を好きになって購入いただくというよりも、絵を見て頂いた方と新しいご縁が生まれたり、アイデアを交換したりして、それが次の新しい仕事につながっていったらいいなと考えています。なので、僕が今こういうことを考えているぞ、こういうことがやりたいぞ、こういうのがカッコいいとか素敵だと思っているぞ、というのをオリジナル作品でプレゼンテーションしているんです。ものすごくビジネスライクな話かもしれませんが(笑)。
ーオリジナル作品とは、仕事とは関係なく、言わば”描き下ろし”の作品ということですか?
そうですね。今回の個展のメインビジュアルになっているイラストなどは、具体的な目的があるわけではなくて、オリジナルで描いたものです。仕事で描くイラストは、必然的にコンセプトがあるべきですが、オリジナルで描くときは何のためにという目的がないので、自分でテーマを決めて、そのテーマのもとに描いています。そこで作家性が生まれてくるので、商業イラストレーター/デザイナーと言っても、アーティストとのグラデーションだと思います。
ー商業イラストレーター/デザイナーと、アーティストのグラデーションというお話、もう少し詳しく伺えますか?
僕が作家性を持ちつつも、基本的には商業的なクリエイターだと言っているのは、いわゆる芸術家みたいな超個性的なものを生み出している人間だとは、自分では思っていないからなんですね。実際、自分が納得するものを生み出すことと同じくらいに、もしかしたらそれ以上に、社会のいろんな人たちが自分の描いたものを求めてくれる喜びが大きいんです。社会の役に立っているという実感が、今ものすごく嬉しい。
だから、そっちを大事にしているので、自己表現とか自分だけの唯一無二のものを生み出すというのは、二の次かな。ある意味、そういうプライドはとっくの昔に捨てている。いったん捨てた上で、それでも自分が表現したい世界、ありきたりなタッチであってもいいけど、自分が本当に表現したいと思う世界はまだいっぱいある。それをちゃんと表現することを、仕事だけじゃなくて、オリジナル作品として発信する、ということをずっとやり続けています。だから、商業イラストレーター/デザイナーとして、そのグラデーションの中に身を置いているというスタンスが今は心地いいですね。
<インタビュー前編はここまで>
次回、インタビューの後編では、北窓さんの現在のお仕事のこと、伊丹との関わりなどについてお話を伺っていきます。ぜひ後編もご覧ください!
1982年大阪・池田市生まれ、豊中市在住。
大阪デザイナー専門学校卒業後、スポーツ系デザイン会社でのデザイナーや、企業での広告、株式会社188にて様々なアートワークを経験。イラストを中心に、グラフィック・写真加工など、バラエティ豊かな「ビジュアルづくり」を得意とするイラストレーター/グラフィックデザイナー。
※緊急事態宣言に伴う営業時間短縮要請により、開場時間と開演時間が変更になりました。
Written by マルコ