震災から25年。2020年1月17日の阪急伊丹駅を見る

公開日:2020年01月17日

阪神・淡路大震災から25年が経ちました。
震災から25年が経った阪急伊丹駅を見てきました。

現在の阪急伊丹駅東側。頭上には伊丹駅とボントンビルをつなぐ歩道橋(現在は「阪急電鉄阪急伊丹駅前歩道橋」)があります。

写真提供・松田潤氏

25年前の同じ場所の光景。駅舎1階の自由通路部分が完全につぶれ、電車が沈むという信じられない光景がありました。
この写真奥に阪急伊丹駅前派出所があり、1人の警察官が犠牲になりました。

写真提供:松田潤氏

これは別角度からの写真。電車の停まっていた位置から駅舎が崩れているのが分かります。
落ちた衝撃で電車の窓が開いてしまっています。

現在の位置的にはこのあたりになるでしょうか。
駅自体は再建時、南寄りに変更されました。

現在の阪急伊丹駅。かつての伊丹駅は右にある伊丹ショッピングデパートの奥までありました。
伊丹ショッピングデパート(旧ニチイ伊丹店)は阪急伊丹駅前にあった大型商業ビルで唯一残った建物です。

阪急伊丹駅北側。伊丹ショッピングデパートと並行してこの辺りまで旧阪急伊丹駅がありました。

市バスの停まっているあたり、タクシープールの左あたりにかけて旧阪急伊丹駅がありました。
タクシープールから右側には三和銀行(現三菱UFJ銀行)やパチンコ店などが入るビルがありました。

上の写真から北に振り返ったところに、阪急伊丹駅の復興を記念した碑がひっそりと建てられています。

阪急伊丹駅西側。かつてここには「ジャスコ伊丹店」として親しまれた「伊丹セントラルプラザ」がありました。

伊丹市ウェブサイト

地震で「5時46分」を指したまま止まった大時計。上の写真とほぼ同位置です。

伊丹セントラルプラザも地震で大きな被害を受け、全館で一時休業に。
その後下層階の専門店は営業を再開したものの、大きな被害を受けたジャスコは営業再開することなく閉店。
セントラルプラザ自体も2000年に閉鎖されました。

跡地の大部分はマンションになりましたが、かつて駅とセントラルプラザを結んでいた陸橋の一部と、建物の2階部分までの一部は残され、現在パチンコ店の「ゼニスコート」になっています。
ただし陸橋の3階へ上る部分は閉鎖され、入ることはできません。

新しい阪急伊丹駅「リータ」再建時、リータとセントラルプラザを結ぶ陸橋にはエレベータが設置されましたが、セントラルプラザ閉館に伴って使用停止になりました。

阪急伊丹駅から南へ。ViVa伊丹商店街南出口前の道路と交差するあたりに、仮設の阪急伊丹駅がありました。

カーブミラーのあるあたりのコンクリート擁壁を撤去し、高架へ上がる盛り土をすべて取り除き、駅ホームと改札口を作りました。

今となっては痕跡を探すことも難しいですが、高架部分のコンクリート擁壁を撤去した部分の色が少し白っぽくなっているのが、かろうじてここに仮駅があったことを証明しているようでした。

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