公開日:2020年05月24日
伊丹市には人口が「ゼロ」のまち(小字・丁目単位で)が14もあるんです。「人口ゼロ」、つまり人が住んでいないのはナゼなのか?そこには一体ナニがあるのか?調査していく企画です。
第1回は「鴻池7丁目」を調査!
今年の2月末に「伊丹市内で一番人口の多い町・丁目はどこ?2019年人口ランキング」をまとめました。
↓記事はこちら。
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この記事自体は伊丹市が年4回発表している「町・字別年齢別人口統計」をもとにしているわけですが、記事を書くためにこの統計をよく調べてみると、人口総計が「0」という小字・丁目がなんと14もあることが判明しました。
じゃあこの14か所には一体ナニがあるのか?人が住んでいないのはナゼなのか、探っていきたいと思います!
伊丹市鴻池はこのあたりです。
伊丹スポーツセンターやスーパービバホーム、オアシスタウン伊丹などの商業施設も多く、住宅も多いエリア。
天王寺川をはさんだ東側は宝塚市になります。
鴻池2丁目は市内でも7番目に人口の多いまちで、鴻池全体でも6,439人が住んでいます。
そんな鴻池に「人口ゼロ」の場所があるのか!?
鴻池7丁目は鴻池でも最も北の部分。すぐ北は荒牧南です。
鴻池7丁目をGoogleマップで見てみると…
う~ん、確かに周りに比べてみると大きな建物が多いような気もするし、大きな建物が目立つような気も…。
航空写真で見てみると…。
確かにあるのは伊丹北高校とミリオンタウン伊丹昆陽、コーナン、あとは工場ばかりで住宅はなさそう…。
それにしても気になるのが、鴻池7丁目の3分の1くらいを占めている伊丹北高校ですね。
伊丹北高校が開校したのは昭和48(1973)年。ではそれ以前はこの辺りにはナニがあったんでしょうか?
国土交通省国土地理院ウェブサイトの地図・空中写真閲覧サービスを使って伊丹北高ができる前の昭和46(1971)年の空中写真を見てみましょう。
出典:国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
赤く囲ったところが現在の鴻池7丁目です。
すぐ南に黒池・西池が見えますが、下にある西池は今よりも南側にまで広がっていたようです。
黒池の南側にある昔からの鴻池集落(現在の鴻池6丁目あたり)や東側(現在の北野付近)には住宅が多いですね。
が、7丁目にはすでに工場が立ち並んでいるほかは、田畑が広がっているようです。
そして現在の伊丹北高があるあたりをよく見てみると…
現在のグラウンド付近が黒っぽくなっていますね。
実はここには「新池」という池があったんです!この新池を埋め立てた後に北高が作られたというわけ。
ちなみに鴻池小学校とこうのいけ幼稚園のあるところにも「玉田池」という池があったそうです。
さて、このころから伊丹北高の北側には工場がありますが、それ以前はこの一帯は田畑だったようで、昔から人はほとんど住んでいなかった様子。
そして、伊丹市文化財ボランティアの会ウェブサイトの「旧地名の案内板~鴻池」によると、鴻池7丁目の北半分のほとんどは「荒牧」に属していたらしいです!
その後、平成19(2007)年3月の住居表示実施にともない、当時の荒牧字西蔵貝・字東蔵貝・字黒丸・字下鍵田が伊丹北高の部分と一体で鴻池7丁目になったということでした。
伊丹市の都市計画情報検索マップによると、鴻池7丁目は伊丹北高校以外の土地が「準工業地域」に指定されています。
なのでおそらく今後も「人口ゼロ」が続いていくんじゃないでしょうか。
田畑と池がが広がっていた地域に工場や高校、商業施設ができ「人口ゼロ」のまちになった鴻池7丁目。
「人口ゼロ」のまちにもいろいろな歴史が隠されているんですね!
[文・たっきー@ECHO]
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